一橋倫政

更新は不定期 twitter→https://twitter.com/hito_rinsei

2016年 一橋大 倫政〈経済分野〉 解答・解説

図III-1は、日本の1975年から2014年までの各年の完全失業率消費者物価指数対前年上昇率を表している。このように、失業率とインフレ率との間に負の相関が観察されることがある。図をみながら、AとBの二人が以下の会話をしている。
f:id:hitrinsei:20200422084623p:plain

A:この負の相関を経済学的に説明してみます。いくつか考え方はありますが、代表的な説明は次のようなものでしょう。それは、「金融緩和政策などによって、予期せぬ通貨価値の下落がひきおこされたとする。これによって物価や賃金が上昇する。しかし、貨幣錯覚といって、労働者は物価上昇よりも自分の賃金上昇を敏感に感じることがある。①そのせいで、失業率が下がる」というのです。

B:失業率が下がるのはいいことかもしれないけど、どうして失業率が下がるの?

A:労働者の事情に着目して考えてみると、ある程度納得がいきますよ。

B:そうなんだ。でも、②貨幣錯覚が解けたらどうなるの?

A:いい質問です。失業率や景気はどうなるのでしょうね。まずは、さっき言った代表的な説明をもとに考えてみてください。ただし、それがいつも現実に妥当するわけではないので、現実経済でなにが起きるか断言したり予言したりはできません。

B:景気予測もできないの。

A:いいえ、そういうわけではありません。いろいろな経済学的な考え方を理解することによって、今後どのようなことが起きうるのか、複数の可能性を事前に考察することができるのです。これはとても大事なことですよ。 ただ、勇み足になりかねないので、断定的な景気予測はしないだけです。

問2 下線部①では、全融緩和政策によって失業率が低下すると結論づけられている。Aが紹介したカギカッコ内の説明にそって、その理由を述べなさい。(100字)

間3 Aが紹介したカギカッコ内の説明をふまえ、下線部②のように貨幣錯覚がとけたときには、どのようなことが起きうるのかを説明し、またそれが社会経済に与えうる影響についてどのようなことが考えられるのか、あなたの考えを論理的に述べなさい。(250字)
※掲載されている問題は許可を取っています







失業とは?

出題範囲はマクロ経済学です。まず、失業についてまとめていきます。
古典派経済学では、労働市場における労働供給曲線労働需要曲線の交点によって雇用数と実質賃金が決定されると考えられてきました。つまり、古典派経済学上では失業は存在せず、全ての働く意思のある労働者は雇用されている状態です。しかし、このような古典派経済学の考え方の上でも失業は存在します。例えば、「賃金が低いから」という理由では働かないものや、転職のために一時的に職に就いていないものです。前者を自発的失業といい、後者を摩擦的失業といいます。また、失業者の技量・性別等と、雇用主のニーズに差があるために働くことができない場合も失業の一つです。これを構造的失業といいます。


自発的失業・・・個人の意思に基づく失業
摩擦的失業・・・転職の際に発生する失業
構造的失業・・・雇用主のニーズと労働者の特性のズレによって発生する失業

では、古典派経済学における失業に対し、ケインズ理論における失業にはどのようなものがあるのか見て行こう。ケインズ理論では、賃金は下方硬直的であるとされる。そのため、賃金が労働供給曲線と労働需要曲線の交わる点より高い水準でとどまり、超過供給が起こることで、職に就けない労働者が発生してしまう。このような失業を非自発的失業といいます。
✳︎賃金が下方硬直的であることの説明
ケインズ理論では、賃金が下方硬直的である、という話をしましたが一体なぜそうなるのでしょうか。様々な説明の仕方が可能ですが、ここでは相対賃金仮説というものを紹介しておきます。相対賃金仮説とは、労働者の要求する賃金は他の労働者の賃金水準によるとする考え方で、労働者が賃上げ要求をしている場合下方硬直的となります。

フィリップス曲線

ここまで失業についてまとめてきましたが、改めて問題の図を見てみましょう。
図のような曲線をフィリップス曲線と呼びます。フィリップス曲線が成立するもとでは、インフレ率と失業率の間にマイナスの相関が見られます。つまり、失業率を低くすればインフレ率が高まり、インフレ率を低くすれば失業率が高まるということです。よって、インフレ率と失業率はトレードオフの関係にあるといえます。しかし、短期的には負の相関が見られるものの、長期的にはこの関係は成立しないことがデータによって確認されています。以下では、それを説明したいと思います。

自然失業率仮説と貨幣錯覚

フィリップス曲線の不安定性を説明するものとして、フリードマン自然失業率仮説という理論があります。自然失業率とは、古典派経済学における(自発的失業、摩擦的失業、構造的失業による)失業率をさします。ここで、失業率が自然失業率に等しくなるような状況を想定してみよう。この時、貨幣量を増加させるような金融緩和政策が行われたならば、インフレが発生します。問題文の『金融緩和政策などによって、予期せぬ通貨価値の下落がひきおこされたとする。これによって物価や賃金が上昇する。』の部分です。そこで、問の2番ではその結果なぜ失業率が低下するのかということが聞かれているわけですが、これを考えていきましょう。企業や労働者は、政府との情報格差のため一般物価水準を瞬時に把握することはできません。そのため、労働者について考えれば、インフレによる名目賃金の上昇を、実質賃金の上昇と錯覚してしまいます。その結果、労働者は労働供給を増やし(労働供給曲線が右方にシフトし)失業率の低下につながる、という理屈です。しかしこのような状態がいつまでも続くわけではなく、いずれ労働者は賃金の上昇を一般物価水準の上昇が原因と気付くため、長期には失業率とインフレ率の間に負の相関は見られなくなります。これが、『貨幣錯覚が解ける』ということです。では、長期のフィリップス曲線はどのようになるのでしょうか。以下で図を用いて説明していきます。(手書きなのは勘弁)
f:id:hitrinsei:20200423234024j:plain
縦軸はインフレ率で横軸は失業率


まず、貨幣錯覚によって失業率が低下します(A→B
次に物価が上昇します(B→C
貨幣錯覚が解け、失業率が元の水準に戻ります。(C→D
以上から、長期のフィリップス曲線は垂直となります。


これは、失業率を自然失業率以下に抑えようとする政策はインフレの上昇のみをもたらすということを意味します。
さて、設問に完璧に答えるためにはまだ不十分です。『どのようなことが起きうるのかを説明し、またそれが社会経済に与えうる影響についてどのようなことが考えられるのか』とあり、どのようなことが起きうるのか=インフレのみをもたらす、という所までしか議論していません。つまりこの問題はインフレが社会経済に与える影響までを含めた問題なのです。なぜこのようなことを強調するのかというと、インフレの影響までちゃんと書いている解答例を見たことがないからです。以下では、インフレのもたらす影響についてみていきます。

予想されたインフレのコスト

インフレによって通貨価値が下落すると、物価が上昇します。この時、実質的な貨幣価値の目減りは名目利子率の上昇によって補われますが、現金だと利子は支払われません。そのため、人々は現金を減らしインフレの影響を受けない資産という形で保有しようします。例えば、資産を全て銀行に預けた場合、必要な時には預金をおろしに行く必要があり、手間がかかります。このようなコストは靴が痛むことの比喩として靴底のコスト(シューレザーコスト)と呼ばれます。また、インフレの影響で商品を値上げする場合、メニューを書き換えるコストが必要となります。これはメニューコストと呼ばれます(メニューコストのため、商品の価格が硬直的となることもある)。また、年金の目減りやスタグフレーションで書いても問題ないでしょう(金融緩和政策を行なっているので不況であることは前提)。


なかなか難しい問題だと思います。問題文では言及されていませんが、フリードマンの自然失業率仮説が深く関わっています。受験政経ではケインズ有効需要、財政政策、金融政策といった総需要ばかりが取り上げられていて、このような問題に対処できるのか甚だ疑問です。範囲が偏りすぎているというのも政経の問題点です。以下に解答例を載せておきます。


〈解答例〉
2金融緩和政策により物価や賃金が上昇すると、賃金の上昇は認識できても、政府との情報格差から物価の上昇はすぐには認識できないため、労働者が実質賃金の上昇と錯覚し労働供給量を増やすので、失業率が低下する。(100字)
3貨幣錯覚がとけたとき、実質賃金が上昇していないことを認識した労働者は労働供給をやめるため、失業率は以前の水準へと上昇する。この時上昇した物価は変化せず、金融緩和政策は結局失業率の低下に効果なく、インフレのみをもたらす。インフレが社会経済に与える影響として、貨幣保有機会費用が高くなり資産の形で保有する動機が高まり、取引の際資産を変換する手間が生じる。企業では価格改訂が必要になり、メニュ一書き換えの印刷代等の費用がかかる。また、改訂できない企業は現状価格で販売せざるをえず資源配分に歪みが生じる。(250字)